【京都】伝説の銘刀、膝丸(薄緑)を求めて大覚寺まで

今回は、嵯峨嵐山にある大覚寺のご案内とともに、伝説の銘刀、膝丸(薄緑)をご紹介したいと思います。

大覚寺の場所は嵐山観光の賑やかな中心部からやや離れていることあり静かな地域になります。

JR嵯峨嵐山駅からはやや歩きますが、京都らしい雰囲気を感じながら歩いてみるのもいいかも知れません。

通常は非公開(年2回公開)の霊宝殿にて「伝説の名刀、膝丸(薄緑)」が公開されていると聞いて、早速のご訪問です。

目次

歴史・成り立ち

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参道の入り口にお寺の名称「旧嵯峨御所大覚寺門跡」と書かれた石碑が立っているのを見て、何故、御所なのだろうと不思議に思った方もいるのではないでしょうか。

大覚寺は、嵯峨天皇が嵯峨御所と呼ばれる離宮嵯峨院を平安初期に建立されたことを起源とし、とても皇室との関係が深い寺院となります。

876年、皇孫である桓寂入道親王を開山として大覚寺は開僧しています。

その後、門跡寺院として代々の天皇や皇族が住職を務めてきたこともあり、数多くの貴重な品々が収蔵されています。

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宸殿の襖

南北朝時代のメインストリームとなる物語といってもよいほどの舞台のひとつですね。南北朝時代の歴史はとても興味深い内容ですので以下をぜひ。

南北朝時代とは?

嵯峨天皇は弘法大師との交流もとても深かったとされ、東大寺や東寺への重要役職への抜擢なども嵯峨天皇により行われています。

また、疫病退散を祈願して弘法大師が書写をすすめた嵯峨天皇による般若心経は、60年に一度とされる「勅封般若心経御開封」の儀式にて見ることができます。前回は 2018年ですので、次回はなんと 2078年!(汗)

特徴・見どころ

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大覚寺の境内もとても広大で参拝の所要時間は、最低でも 1時間以上かかります。大沢池まで周ると 2時間は見た方が良いかも知れません。

参拝の入り口は、日本最古の庭池とされる大沢池がある「大沢池参拝口」と表門のある「大覚寺参拝口」になります。

大沢池は、日本最古の人口池とされています。

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大沢池をぐるり

周囲は約 1km、面積は約 7,000坪もあります。平安時代には舟遊びの場として楽しんだともされており、当時の滝も再現され、現在では国の特別名勝に指定されています。

どちらの入り口からでもすべて拝観することはできますが、参拝料は大覚寺と大沢池の2箇所分必要です。

私はとにかく普段は現金を持って歩かないため、参拝の時はいろいろ大変(汗)

今回は、大覚寺参拝口である表門側からのご紹介になります。

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表門

まず、重要文化財に指定されている宸殿です。江戸時代、後水尾天皇により下賜されたといわれる寝殿造りの建造物です。

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表門から入った先にある宸殿

宸殿は徳川秀忠の娘である東福門院和子が女御御殿として使用されていたとされます。宸殿から見る庭の正面には御所の名残である「左近の梅」と「右近の橘」が植わっています。

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右近の橘

そして次に、こちらは厨二病をくすぐる「稲妻回廊」と呼ばれる村雨の廊下です。

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村雨の廊下

稲妻のように折れ曲がる廊下は侵入者から防御するため、短距離ながらいくつもの角をつくり折れ曲がった作りになっています。

天井の屋根も低く刀を振り上げられないようになっており、下の板廊下も「うぐいす張り」と呼ばれ、歩くとキュッキュッと軋む音が鳴ります。

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霊宝館で膝丸(薄緑)を拝観

そして私のメインとする霊宝館。伝説を纏う兄弟刀のうちの一振り、膝丸(薄緑)です。いや〜かっこいい(笑)

残念ながら写真撮影は館内すべてNGでした (´・ω・)ショボン

北野天満宮は一眼カメラの撮影はNGだけど、スマホはOKだったので期待していたのですがダメでした。

以下、伝来記による記録になります。

【誕生】平安時代、清和源氏の流れを汲む六孫王経基の嫡男、源満仲により天下守護のため鍛えられる。

【膝丸】刀完成後、罪人の斬首で試し斬りしたところ、その膝までがスパッと切れてしまったため、膝丸という別名がつけられた。

【蜘蛛切】満仲より受け継いだ源頼光。ある日熱病苦しめられていた頼光は枕元にあらわれ自身を捕らえようとした大柄な法師を、太刀で斬りつけ追い払う。翌朝、頼光と頼光四天王の武将らがその血の跡を追ったところ、北野の森の大きな塚の前で苦しんでいる山蜘蛛(土蜘蛛)に遭遇、皆で退治したところ頼光の体調はたちまち回復した。この故事により膝丸は蜘蛛切の名が付された。

能:土蜘蛛。平家物語を題材に、源頼光と配下の武将らの蜘蛛退治が描かれる作品。大変ダイナミックな作品で、謡の中に銘刀「膝丸」による蜘蛛退治であることがしっかりと謳われている。

歌舞伎:土蜘。脳の「土蜘蛛」をもとに明治時代に歌舞伎狂言作家河竹黙阿弥により作られた演目。源頼光が蜘蛛の精を退治する。

戻橋背御摂:鬼切と蜘蛛切が共に登場する歌舞伎。登場人物の多くが偽名で登場し、大変ややこしい演目となっている。

【吠丸】源為義のとき、蜘蛛切は夜な夜な蛇のような声で吠えたので吠丸と呼ばれるようになった。為義は熊野別教真に引継ぎ、教真は自分が持つべき物ではないとして熊野権現に奉納した。

兄弟離別:このとき髭切は源氏の嫡男源頼朝に譲られ、二振りは離れ離れに

【薄緑】熊野権現に奉納されていた膝丸は、熊野別当源湛増より平氏追討の任を帯びていた源義経に献上され、義経により薄緑の号が付された。熊野の春の山を分け出でたことに由来する。平家討伐後、兄頼朝との仲が拗れてしまった義経は、兄との関係修復を願い箱根権現に薄緑を奉納した。箱根別当行實は、義経が奉納して行った薄緑を曽我五郎時宗に譲り、時宗は仇討ちを成功させた。

兄弟再会と別離:頼朝のもとで膝丸と髭切は再会する。しかし後また離れ離れに。

【大覚寺所蔵】その後、西園寺家や安井門跡を経て、安井門跡の断絶により大覚寺に奉納され現在に至っている。

出展:「平家物語」「源平盛衰記」「薄緑太刀傳来記」

写真を撮れないのは仕方ありませんでしたが、歴史所蔵品の数々みどころいっぱいです!

アクセス

JR山陰本線嵯峨嵐山駅より徒歩約 16分
京福電気鉄道嵐山駅より徒歩 22分
市バス大覚寺前すぐ

おわりに

大覚寺と銘刀膝丸(薄緑)についてのご紹介でした。膝丸(薄緑)は北野天満宮の鬼切丸と同様、歌舞伎や浄瑠璃、謡曲などでも同様に伝えられています。

また、大覚寺には、武家が戦勝祈願として信仰した不動明王、愛染明王、毘沙門天などの仏像も多数所蔵されており、今回ご紹介しきれなかった見どころ溢れる建造物もまだまだ多くあります。

「1,200年の悠久の歴史」と謳われる魅力たっぷりの大覚寺。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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